6年前の今日・・・・、平成21年8月1日は私にとって生涯忘れることのできない記念日です。
「おおた高齢者見守りネットワーク」(愛称:みま~も)の専門職たちが地域に暮らす安心を考えて生み出した
『 高齢者見守りキーホルダー事業 』 が、大田区20地域包括支援センター中、6地域包括支援センターで申請を開始することができた日なのです。
平成21年6月、地域づくりセミナー「医療の安心」で講師を引き受けてくれた大森地域の4病院で働く医療ソーシャルワーカー、そしてみま~もの専門職たちと生み出したキーホルダー事業。
生み出してから申請開始までの2ヶ月は、今振り返っても思い出せないほど、あらゆる機関に協力を求めるために駆けずり回っていました。
大田区の担当課では、たった1つの地域包括支援センターが提案している事業について、当然のことですが区としてすべての地域の地域包括支援センターに協力するよう求めることはできないと断られ、
「ならば!」と、自分自身で区内すべての地域包括支援センターに協力を求めましたが、ただでさえ業務に追われている中、さらに申請を受けるものが増える。それだけで断られてしまう虚しさも味わいました。
それでも、大森地域の6ヶ所の地域包括支援センターで申請を受けてくれることになったのです。
当時のキーホルダー事業は、一任意団体である「みま~も」の事業として始めるしかありませんでした。インターネットでキーホルダーを販売している業者を探し、形や大きさなども考慮して発注。かかる費用は、みま~もの協賛金から捻出していました。
キーホルダーの中に埋め込む用紙はすべて、わが包括支援センターのプリンターで印刷。印刷した物を切ってキーホルダーに埋め込む作業は、みま~もの中村代表や協賛事業所の仲間たちが申請開始前日まで事務所に集まり手作業で行いました。
「この事業は、命を懸けてもやり遂げる価値のあるものだよね。」
私にこうつぶやいた中村代表の言葉を今も忘れません。私自身も本当にすべてをかけて、このキーホルダー事業実現に向けて奔走していました。
8月1日、申請開始の日を迎えることができた瞬間から、
「数は力!」 この事業を継続させるために民生委員や自治町会に、協力を求める日々が始まったのです。
しかし、このために自分たちで奔走することは長い時間を必要としませんでした。
このキーホルダー事業を 「万が一の時のための安心のツール」と実感した地域住民が続々と申請に訪れるようになったのです。
しかも、登録した人が申請書を持ち帰り、「いいものだからあなたも申し込んでおきなさいよ!」と広めてくれるようにもなってきました。
そして、区民が動きます。
「どうして大森地域ではキーホルダー事業に登録できるのに、同じ区民の私たちは申し込みができないんだ!」 と、区役所に要望が殺到するようになる。それでも大田区は動かない。
このキーホルダー事業はみま~もの専門職たちで生み出した大切な我が子のようなものです。
でも、だからこそ、いつまでも自分たちの成果として留めておくものではない。この事業は自治体が取り組んでこそ機能するものと生み出した当初から考えていました。
そして何より、自治体のサービスになれば、トップダウンですべての地域包括支援センターが申請窓口となる。そうすることで大田区民65歳以上すべての方にこのキーホルダーを手渡すことができる!
私たちは繰り返し繰り返し、行政に働きかけました。断られても、適当にあしらわれても、決してあきらめませんでした。そしてみま~もで申請を開始してから2年半後の平成24年4月大田区の高齢施策としてこのキーホルダー事業がスタートしたのです!
大田区の事業となるまでには、私たちの思いを聞き入れて区役所の内部で奔走してくれた行政職員の方々もいてくれたことを追記しておきます。
そして、キーホルダー事業開始からちょうど6年後の昨日、大田区キーホルダー事業は24時間365日対応可能となったのです。地域包括支援センター閉庁となる休日・夜間帯にはコールセンターが連絡を受けて対応します。
やっとここまでたどり着きました。大田区のキーホルダー事業は、今では区民65歳以上の25,000名を超える人たちが登録しています。
毎年、その人の誕生月は情報の更新と地域包括支援センターとのつながりの更新月!多くの人たちが更新のために地域包括支援センターに訪れてくれています。
大田区の事業となった「高齢者見守りキーホルダー」。それでもみま~もの専門職にとってこの事業は自分たちが産みだした我が子に代わりはありません。これからも、この事業が日本のすべての人たちに行き渡るまで、広げる努力を続けていきます!
平成21年8月1日キールダー事業スタート当初の案内チラシ。
↓
平成21年8月当時のキーホルダー。みま~もの仲間たちと手作業で一つひとつ作っていました。
↓