個人情報の壁・・・・・。
今、地域包括支援センターを語るとき、この言葉がまるで巨塔のように行く先をさえぎり、包括支援センターの
『 困難さ 』 の代名詞のように語られている・・・。
先日、ある地域の包括支援センターの方が事務所に訪れ、「今、自分の地域では、行政と一体になって、65歳以上の方の全世帯の実態把握に取り組んでいる」と、私に話してくれた。
「その実態把握に行ったうち、何人の方から自分から相談がありました?」
「何人の人が玄関を開けてくれました?」
「それは・・・・・」
この人たちがやっていることをどうこう言っているのではありません。
話しているうちに、同じ包括職員として、業務として当然に思ってやっていることについて、改めて考えてしまったのです。
実態把握とはいったい誰のためのものなのでしょうか?
個人情報の壁と言いますが、実際、個人情報保護法により、支援が困難な状態であった件数とはどのくらいあるのでしょうか???
そして、支援をするのに本当に必要な情報とはどの程度なのでしょうか?
個人情報保護法が壁となるほどの情報量が必要なケースとは、実際にどんなものなのでしょうか?
自分たちが必要なために実態を把握する。情報を知ろうとする。
でも、把握されるその方が、支援を必要と感じていない。もしくは、専門職が必要と思っている情報収集について拒否をする・・・。
そうなれば、それでおしまい。先に進むことはできない。
これを、「個人情報の壁」と言いかえているのなら、壁でもなんでもない。
相手が求めていないところへ、土足で上がりこむ一方通行的な視点の方が問題なのではないでしょうか?
専門職がそうだと思って、良かれと思って行っていることが、必ずしも、地域に暮らす人たちが、私たちに求めていることと、必ずしもイコールではない。
個人情報保護法が壁となっているというのなら、すべての情報を、包括支援センターが一括して把握できたのなら、急速に進む高齢化、一人暮らし世帯の増加などに対応できるということになるのでしょうか?
委託ではなく、直営の包括支援センターで業務を行っている包括支援センターは、困難さを抱えずに業務を行っているのでしょうか?
一方通行では、支援が必要な人でも、玄関の扉すら開けてはくれない。
私たちが本来やることは、玄関を開けてもらうことだけでなく、その人が心の扉も開けてくれること。これができて、初めて専門職としての支援が始まる。
改めて、当然のように自分たちが思っていること、当然のように行っていることを、支援を業とするものの、一方通行な『支援』という名のものではないのか・・・・。
考えてみる必要があるのではないでしょうか?