どうにもならないことってあるんですよね・・・・。
どんなにがんばったって、どんなに考えたって、どんなに誰が見たって正しいことだって、動かないものがある・・・。
こちらを向いていない人には、こちらへ向かせる共通点をみつけ理解を求めた。
一人でできないことであれば仲間を求め、
自分たちの力のすべてを注いできたかけがえのないものも、すべての人に届けるために無条件で手渡した・・・。
それでも・・・、どうにもならないことがあることを知った。
くやしくてむかついて、どうにも動かないものに、動かないもののわからなさに、
こぶしを叩きつけ怒鳴りたくなる思いをかみしめて、さらに話し込む、そして動くのを待つ。それでも動かない。
ここまでどれだけの人が考え、動き、そしてどれだけこれを待ち続けている多くの人がいると思っているのか!あなたたちでは絶対にやれないものを形にしてきた、この歩みを・・・、
これ以上軽く扱うな!!踏みにじるな!!
あなたたちに限界があることもわかっている。
だからといって、結晶が崩れて見る影もなくなることがわかっていて、それに力をこれ以上出すわけにはいきません。
それでも先を夢見て、ここまで歩み寄ってきたのです。
どうにもならないこともある。
そうはいっても、考えなければなりません。
あなた方がこれ以上のものを考えぬのなら・・・、そうであるのなら・・・、
どうにもならないそのものの息吹を断たない方法を考えましょう。
自分があきらめてしまえば、みんなの願いが込められたそのものの息吹さえ断ってしまうことになる。
どれだけ多くの人がこのものに息吹を与えてきたのでしょう・・・。
それを考えたらあきらめることなどできません。
自分自身の最後の大仕事と決めてここまで来たんです。
何年かかろうが、
『 ホンモノ 』 を、必要と思うすべての人に届けるまであきらめることはできないのです。
どんなにこちらを向いていない人にもわかってもらうための理論をもう一度考えましょう、身につけましょう。
投げ出したらそこで終わり。
今はわかってくれていない人を、「どうしようもない人」とこっちが決めつけてしまったら、相手と歩み寄ることなどこれからずっと先もできないでしょう。
どうにもならないことがあるってことがわかりました。
でも、「わかった」ことと、「あきらめないこと」は別のこと。
私はあきらめない方を選びます。