大田区発の地域包括ケアシステム-おおた地域見守りネットワーク(みま~も)

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2012.12.1みま~もの5年 ① ~ひとつの出逢い~
  • 今から5年前のちょうど12月・・・・。
    東京都大田区大森でひとつの出逢いがありました・・・。
    同医療法人の居宅介護支援事業所管理者をしていたが、もともと地域包括支援センター業務を希望していて、4ヶ月前にセンター長となった一人の男。
    しかし、実際の地域包括支援センターは、私たちの「専門」を必要として訪れてくる人たちへの対応だけでさえ手いっぱいの日々・・・。
    自分たちが本来やるべきことを描くこともできない多忙な業務に追われ、「でも精いっぱいやっている」と、自分に言い聞かせている・・・。
    そんな日々に悶々としていた一地域包括支援センターのセンター長・・・。
    そしてもう一人が、デイサービスの相談員を辞め、この地で開業した社会福祉士。
    2人が約8年ぶりに再会し、酒を飲み、語り合った・・・。
    この二人というのが、私とみま~も代表 中村さんです。
    再会といっても、8年前に同じ法人のそれぞれちがうデイサービスで働いていて、交換研修の1週間一緒に仕事をしたというだけの関係。
    それが8年後、たまたまこの地域で、2人とも新たな世界でスタートを切ったばかりの時に出逢い、未来を描き語り合った。
    「澤登さんが本気なら協力するよ!」
    悶々としていた当時の私には、中村さんのこの短い一言で十分でした。
    「自分ではSOSの声を上げられない人たちに、自分たち専門職の手をさしのべるまで!」
    そうです!
    この日、2007年12月20日!
    おおた高齢者見守りネットワーク(愛称:みま~も) は、たった二人の出逢いから産声を上げたのです・・・。
    中村さんとの出逢いから22日後の2008年1月11日には、近隣の事業所や地域密着の百貨店「ダイシン百貨店」に呼びかけ、15名でのみま~も発足会を開催。
    当時の私は、何もなかったところから物事を動かしていく本当の大変さをまだ知りませんでした。
    しかし、年明けのすぐからこの大変さを目の当たりにしていきます。
    地域包括支援センターの委託元である当時の行政担当課の方たちは、
    「やるのは構わないが近隣の包括には迷惑をかけないよう、あくまで自分たちの責任においてやってください!」と、この会への冷ややかな姿勢・・・。
    運営していくための資金など何一つない中で、当然、行政機関が出してなどくれない・・・。
    理想と現実の狭間で自分の行き着いた答えは、「協賛事業所や企業を募り、協賛金にて会を運営していくという仕組みづくり。そして、この協賛事業所や企業の皆さんに、会の運営にも関わってもらうという組織体制でした。
    2008年の1月から発足イベント開催の4月までの4ヶ月間は、私たちに協力の手を上げてくれた地域の専門職たちの母体法人への会の趣旨説明、協力依頼。
    新たな協賛事業所のよびかけ。
    そして、会の運営規定パンフレットなどの作成、会が目指すネットワークの在り方の説明用資料の作成など、今思い出してもなぜこんなことができたのかと不思議に感じるくらいの動きをしていたのだと思います。
    きっと立ち止まってしまったら、責任というプレッシャーや不安、見えない大きな力に押し返されて一歩も動けなくなってしまうことがわかっていたのだと思います。
    だから、前に進むしかなかったのでしょう。
    そして迎えた4月21日。ダイシン百貨店催事場にて 「おおた高齢者見守りネットワーク発足イベント!」 を開催。
    地域に暮らす400名の方々が訪れ、この会の立ち上げを地域住民に大きく宣言したのです!
    自分を大きく突き動かしたもの・・・。
    それは、今も変わらずに歩んでくれている中村代表の一言でした。
    あれから5年・・・。
    中村さんはみま~もの代表として、今も一緒に歩んでいます。
    とくに仲ががいいわけではありません。(でもお互いがお互いのことをよくわかっています。)
    考え方も決して同じではないでしょう・・・。(だから偏らず広く物事を考えることができるんです。)
    二人の共通点、それは、みま~もの生みの親だということ。
    そして、このわが子のために歩みを止めないでここまで来たということ。
    5年間歩んできたんです。もう、たまには振り返ってもいいですよね。
    中村さんがいてくれたからここまで来れたんです。
    経緯でいえば私が呼びかけ人です。
    本来ならばこの会の責任者にならなければいけなかったのでしょう。
    ですが、私は区の委託機関である地域包括支援センターのセンター長。
    そして、当時ではこの会への理解が行政機関にはまだなかった。
    当時のある行政の方から、「澤はこの会の責任者にならず、側面からの支援という立場でいた方がいい!」というアドバイスをいただきました。
    考えた結果、包括支援センターがみま~もを発足した形をとるのではなく、新たに任意団体をつくり協賛事業所が運営。
    包括支援センターは「協力」という形で関わるという今の組織体制に行き着きました。
    そしてこの行政の方と二人で中村さんに代表を打診。中村さんは即断で受けてくれたのです。
    「私は名ばかりの代表です・・・」
    中村さんはよくこんなセリフで自己紹介をします。
    そんなことは決してないのです。
    どう転ぶかもわからない5年前から前面に立ち、思い立ったらどこまでも行ってしまうような危なっかしい私を支え続けてくれた。
    だからこそ、自分は思う通りにやってこれたのです。
    今日はきちんと言わせてもらいます。5年間ありがとうございました。
    これからも2人の目的達成のその日まで、よろしくお願いします。
    「ダイシン百貨店」この私たちの地域にある老舗百貨店が、みま~もの発信地となったのです。
    (旧ダイシン百貨店・・・。5年後の現在はリニューアルオープンし、今でも私たちの会を支えてくれています。)
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    第1回発足イベントには、実写版みま~もくん(?)が登場!!
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    みま~も代表 中村さん!
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