演劇のコーディネートの仕事をしていた頃のことです・・・。
世界的に有名なチェリストの方の公演が実現し、当日を迎えました。当時の年齢で70代後半。円熟の極みの域に達しているこの方をホール玄関で迎え、当時の私は、足が震えていたような気がします。
休憩後、舞台へ案内・・・。ホールに緊張が走る・・・。
舞台へ上がる階段を重い足取りで登ったかと思うと、一歩舞台に立った瞬間すっと腰が伸びた・・・。
舞台の端から端まで歩き、自分がチェロを弾く場所を見定める・・・。そして、足が止まると、スタッフが椅子と、チェロを持ってくる。そして、おもむろに奏で始める・・・。
ここまで、しんと静まり返ったホールに、チェロの音色が響きわたる。そばに居させてもらっていた、楽器のことは素人の私にも、ホールが
共鳴していることがわかった・・・。
この演奏者には、自分がどこで弾くことが、自分の演奏を最大限に引き出すことができるのか。演奏を共鳴させることができるのか。身体に染みついているんですね・・・。
ホールがどこに変わろうが、自分の位置を持っている・・・。
チェロが奏でる音色のほかに、繊細で、深みがある、何ともいえない演奏・・・。人の心に届く演奏は、私の中で、一生忘れることのできない音色となった・・・。
今、思い出すと、この客が誰もいないホールで、演奏してくれたのは、
カザルスの「鳥の歌」でした・・・。
何が言いたいのかというと、自分の立ち位置をしっかり決めること。
自分の立ち位置が、どんな場でも揺らぐことさえなければ、共鳴を生み出すことができるはず・・・。
立ち位置が決まらなければ、見えるものも見えない・・・。
立ち位置、それは、「生き方」と置き換えてもいいのかもしれません・・・。
このチェロ奏者との貴重な経験は、もう、20年も前の話です・・・。あの時の私が、リハーサルの演奏で心打たれたのは、演奏のすばらしさだけではなく、彼の立ち位置=生き方に、ホールだけではなく、私自身が共鳴していたからなのかもしれません・・・。
今となっては、この方の演奏を、もう生で聴くことはできません・・・。彼の立ち位置から学ぶこともできません。
少ない出逢いしかありませんでしたが、一度でも同じ空間を共有させていただいたことを、いつまでも忘れません。