「私も、どこか遠く知らないところへ連れて行かれてしまうの??」「お父さん、お母さんに生命をもらって、お母さん、お父さんが私を育ててくれた大田区・・・。自分もこの大田区が大好きだったのに・・・・」
先日、群馬で起きた無認可高齢者施設の火災から、このような施設へ入所する大部分の方が、東京の生活保護受給者であるということが報道された・・・、しかも、大田区の方が一番多く、300名を超えている・・・。
この報道の翌日、私たちの地域で暮らしている生活保護受給者Aさんから電話があり、このような話を私にしてきたのでした・・・。
また、地域の生活保護の方や住民票のない高齢者を積極的に受け入れ、昨年9月22日ブログ「何が幸せか」に書かせていただいた、「○○荘」経営者のNさんとも、この件について話しをした・・・。
「○○荘」は、築何十年立っている民家を、高齢者が暮らしやすいように改造し、あえて有料老人ホームの指定をとらず経営している。当然、エレベーターや、機械浴などの設備はなく、防災設備も万全なわけではない・・・。
Nさんの、思いが築き上げた施設・・・、何よりそこに住まう入居者の自然体な生活を見ていて、Nさんの思いが形づくられていることがわかる。
しかし、今回の火災事故により、防災に関する指導、監督が厳しくなり、このような改築費用に何の助成もなければ、今でさえ生活保護の方を、採算を二の次にして受け入れている上に、さらに費用負担がかかってくる。
Nさんとの話の中で、「もうやめちゃおうかなぁ~」という言葉が、私に向かって漏れてきた・・・。
今回の火災事故の経営者のずさんな管理体制は、間違いなく許されるべきものではない・・・。
問題は、この事故を教訓に、どの方向に進むのかということ・・・。
国が認めるような、防災管理体制、職員体制を、たとえばこの「○○荘」に求めるとしたら、生活困窮者を、今の費用負担で受け入れることはできなくなるでしょう。
今の国が決めた制度の中で、必死に、ぎりぎりの中で、高齢者施設を経営しているホームもあるんです。
事実、「○○荘」のような場所が地域に在ることは、生活保護行政担当者たちが、どれだけ頼りにしていることか。
言いたいのは、
「再発予防のため規制を強くすること。これが今回の事故の根本解決にはならない」ということ。
それどころか、ますます、低所得者が入居できる場所がなくなる、行き場がなくなることにつながりかねません。
人生最期(老年期)の10年、20年を生きているAさんのような人たちに、冒頭のような発言をさせるわが国は豊かな国なのでしょうか?
Nさんのように、今の制度の中でも、思いを捨てず、必死に施設を守っている人たちが「やめちゃおうかなぁ」などというセリフを吐かせていいんでしょうか?
人間らしい老後とは何なんでしょう?
生活保護受給者で身寄りがなく、お一人で暮らしているAさんのように、近い将来、自分に降りかかるであろう不安・・・。
「○○荘」のNさんのように、ぎりぎりで生活している高齢者を必死で救っている施設関係者の思い・・・。
はっきり言えるのは、このようなものに向き合わないでいる国や、制度は、人間らしい老後の保障を守ることはできません!
「老いた人たちに対して、この社会は単に有罪であるだけでなく、ときに犯罪的でさえある。それは発展と豊富という陰に隠れて、老人をまるで非人のように扱う。人間が、その最期の15年ないし20年の間、もはや一個の廃品でしかないという事実は、われわれの文化の挫折をはっきり示している」
(ボーヴォワール)