今から5年前ぐらいでしょうか・・・?
ケアマネージャーとして働いていた頃、Hさんを担当していた。
Hさんは当時、すでに認知症が進行し、介護者の娘のこともわからなくなっていた。
娘は、認知症の母親の前では気丈に明るく振舞って介護を続けていた。その娘の思いは通じていたのでしょう。Hさんはいつも穏やかに過ごし、ヘルパーやデイサービスの職員の誰からも人気者でした。
しかし、私が定期訪問のため家に行くと、娘は毎回止めどなく涙を流していた。
子どもたちを、大変な思いをして育ててきた母。
いつも自分の肩をポンと叩き、思うように生きなさいと言い続けてくれた母。
その母が、何のためらいもなくわが娘のことを、自分のことを、「お母さん」と呼ぶ。
認知症がこうさせているのはわかっている。わかっているのだけれど、胸が張り裂けそうになるときがある。一緒に死のうと思うときがある・・・。
でも、娘のことを「お母さん」と呼ぶ母の自分を見る眼差しは、自分の肩を叩いてくれた・・・、そのときの眼差しと同じ眼差しているんです。
「お母さん」と呼ばれながら、心の中で自分も、「お母さん」と呼んでいるんです!
娘さんは、いつもこのような話しを私に伝えてくれた。
伝えていたというよりも、自分の心が折れないよう、揺らがないよう、自分の心に訴えていたのかもしれません。
娘さんの話しを聞いた後、私は必ず、デイサービスの職員や、ヘルパーから聞いているHさんの様子を伝えていた。誰からも好かれるHさん。
娘さんは、自慢げにこう話してくれた。
「昔から、そういう母でした・・・」
Hさんは、97歳という人生を、娘に看取られて終えた。
この娘さんが昨日、私を訪ねて夫と一緒に事務所にやってきた。
夫の母が、当院に入院しているのだそうです。
今後について相談を受け、ひと通り話し終わったとき、娘さんは私に笑顔でこう言った。
「沢○さん、私はずっとこうやって誰かに頼りにされる運命なのかしらね?
」
その笑顔を見て私はこう言った。
「きっとそうなのかもしれませんね。ご主人!奥さんを大事にしたやってくださいよ!」
ご主人は照れ笑い。
何でしょう???
こんな状況なのに、お二人は晴れやかに事務所を出て行った。
大切な人を、さまざまな思いを持ちながらも看取った娘。そこに関わらせてもらった、いちケアマネージャー。
この関係性の間に流れる空気感というのは不思議なものです・・・。
深刻なときに深刻にならなければいけないということはない。つらいときに我慢する必要もない。私たちは対象者の、その揺れ動く思いのその場にいるだけ。
そして、それでも自分たち家族が選択していく生き方を見出そうとするそのときに、必要な情報を伝え決めてもらう。それでいい、それだけしかできない。
でも、それだけのことが、どれだけ重要なことなのかを知っておかなければいけないとも思う。
専門職として・・・・。