「誰がために鐘は鳴る」
ご存じ、アーネスト・ヘミングウェイ(「破局」)の同名の長篇小説を色彩映画化した1943年作品。スペイン内戦を舞台とし、ロバート・ジョーダンとマリアの恋を描く・・・。ゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンの主演で映画化もされた。
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さて、今回はこの映画の話を書くつもりはない。
この題名をもとに
「誰がために・・・」ついて考えてみる・・・。
今専門職が、各地域で「連携」という名のつながりを求め、様々な会を発足させている。
みなさん、良かれと思いつながり合おうとするのだが、長続きしない。最初は盛り上がりを見せるのだが、集まり毎にひとり消え、ふたり消え・・・そんなこんなで、最初の音頭をとった人までも、勢いや意気込みは消え、自然消滅・・・チャン・チャン

大切なことは、何のために連携を必要として、
誰がために、このつながりあった関係を向けていくのか。
これがあって初めて連携は、
集団になっていく。
逆にいえば、この「何のために・誰がために」がなければ、これはただの群れでしかない。
群れは「何のために・・・」という目的がなく、どこかに向かっていくという集団としての成長も必要がない。当然、集団自体も常に新しい人の出入りがなく、このようなサロン的な癒しを求め、次の嶺へ自分を進めようという意思のない人たちのクラブ活動化していき、そして、段階的に消滅していく。
また、「誰がために」というのも連携には欠かせない。
例えば、今、モデル地域事業として各地域で取り組んでいる地域マップの作成なども、誰にとって必要なものなのか?マップの作製→完成が目的ではない。
完成させた後どのように活用していくのか?広げていく際の主体は誰か?このようなことを深めて取り組まないと、当然うまくいかないし、大変な思いだけが残り、人は離れていく。
何でもそうだが、どの活動でも「何のために・誰がために」の一番大切な過程を抜きにしてしまうと、活動そのものが、
作業やノルマという言語に変化してしまい、大変さだけが残っていく取り組みになってしまう。
そして、大変だし、達成感がないから人は離れていく。
やっていることが壮大で、大変でありながら、参加している一人一人が生き生きと輝いている。そして、常に新しいメンバーが加わり、活動に新たな息吹を取り入れている・・・。
このような活動には、「何のために・誰がために」が明確で、参加している一人ひとりがこの理念を、思いを常に全員で共有し合っている。
ほかの地域でやっているからと、HOW TO だけを取り入れ、「何のために・誰がために」という議論を省いてしまう。なぜそうなるのか?
それは、この過程こそが、一番大切で大変で、自分自身の変化を求められるからです。できれば、この一番大変で大切な部分を省いて、即効性のあるものを手にしたい。自分自身を高める努力や勉強はしたくないけど、何か取り組んでいる、やっていると思われたい。
このような人に誰が一緒に力を出そうと思うでしょうか?
お互いが自分の成長変化という大切な部分には触れず、今の自分のまま、だけど何かやっていると思われたい。毎回会うたびに仕事の愚痴、理想論や机上のプランを酒でも酌み交わし、語り合って、やった気になる。(飲み会を避難しているわけではありませんよ。私も常に宴会部長です。)
このような集まりを「群れ」と言うんですね。
厳しいことを言うようですが、私たちは日々人と向き合い、その人の生き方、人生に触れることを業としている専門職です。いい加減、外に、地域に目を向けましょうよ!そして、行動する中で、自分たちに何が求められているのかを実感しましょう。
横の連携、他職種同士の連携、お互い無理をしない程度の緩やかな連携を!などと、声高に集まり、合コンの延長のような群れを作っても、本当の専門職はついてきませんよ。離れていくだけですよ。いい加減気づきましょうよ!
勉強会?行動していなければ、常に新しい仲間を迎えるような活動でなければ、変わり映えのない同じような中身の勉強会を繰り返すだけ。同じような内容の話しだが、講師が変わるだけ。
誰がために(対象)・・・・。
何のために(目的・理念)・・・・。
これは、自分たちの専門を地域に目を向けなければ見えてきません。
自分の専門性を高め、今の社会状況の中で何に目を向けていくべきか、どう動いていくか。
このような本当の専門職が、今、必要なんだと感じています。そして、そこにこそ本当の専門職集団が芽生えていく予感を感じます。