常識について考える・・・。
「常識」というものを否定するつもりはありませんが、ときに常識という壁にぶつかり、前に進まなくなってしまうことがある・・・。
新しいものを生み出していくとき、または、大きな結びつきを築こうとするとき、この
常識というものがこの動きをとどめてしまう。
常識にとどまるということを人に例えると、ときに一面だけに固執して、他の面に目を向けないように働く
「頑固者」という形になり、ときに、両面を平気で使い分ける
「如才ない人」となることが多いように感じます。
このような人は、理論や理屈だけにとどまり、理論している目の前の状況に対して、自分がどう関わっていくかということは、その人にとって直接の問題ではないのです。
自分の限られた常識の範囲内での批評・・・、それだけならいいのですが、時には「自分だったらこうする」と、状況に向かっている人に対して意見を言って翻弄させる。(このようなことを意識的でなく言うからかえって悩ませる・・・)
行動するからこそ、様々な障害が生まれ、自分自身の成長を求められるのです。常識人は、このような行動している人の現象に目を向けます。
この現象は、常識人からとってみれば、冷酷に感じるときもあれば、「非常識」とののしりたくなるように感じるのかもしれません。
何かを生み出そうとする大きな力は、成し遂げようとする行動です。
様々な人たちと向き合い、行動するからこそ、深く認識することができるようになり、常識を突き抜けたところで相手を認め、深い結び付きが生まれ、心底笑い、喜び、憂い、悲しむことができるのだと思います。
人類の歴史は、昔から「常識」のようにいわれてきたものを、一つひとつみんなの力で乗り越えて育んできた歴史です。
力を合わせなければ乗り越えられる壁でない・・・、だからこそ、そこに人格と人格同士の交流が生まれ、結びあう力につながる。
常識を突き抜ける・・・。様々な経験を重ねれば重ねるほど、勇気や怖さを感じることもあります。できれば逃げたいと思うこともありますよね、情けない姿を晒さなければいけないことも・・・・。
しかし、常識を突き抜けなければならないものが自分の前に出現する。そしてそれに向き合おうとする自分がいる時、私は「私が私らしく生きている・・・」ということを実感します。
向き合わなければいけないことが見えているということですから・・・。
今の状況を常識と認識していれば決して見えないことですから・・・。
それを変えようと力を出そうとする自分がいるということですから・・・。
知った自分がそこにいて、知ったからこそ大変なことはわかっていながら動こうとする自分がいる・・・。
知った人たちと手を結ぼうとする自分がいる。「損な性格・・・、長生きしないよ・・・」と自分をばかにしながら、自分らしさはそこだと心の奥で「まだ大丈夫」と誇らしく思う自分がいる。
そして常識を突き抜けようとするとき、そこに、今までも知っていたはずだった人のがんばりや、すてきな面が見えてくる・・・、新しい仲間ができていく・・。
常識を常識としない感性を、物事を深く見ることのできる認識を、行動の中で出会った方々からこれからも学んでいきたいと思います。
玄関前にほおずき、風鈴・・・、最近めっきり少なくなった光景ですね・・・。
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