大森駅から山王の山を登ったところに、Gさんはお一人で暮らしている。
ご主人は3年前に亡くなられているが、私が馬込にあるデイサービスで働いていた頃の利用者でした。
日本航空の役職を経て、退職された後、認知症が発症・・・。デイサービスに来ても、5分とテーブルに座っていられない。
そんなご主人の状態だったので、そのころのGさんは目を離せず、付きっきりの介護を行っていた。介護のストレスと疲労により、うつ病で服薬での治療をしていたのもこの頃でした。
私がデイサービスを退職し、ケアマネージャーとして今の医療法人に来てびっくり!前ケアマネージャーから引き継いだ利用者の中に、偶然Gさんがいました。
変形性股関節症により、立ち座りが困難な状態で、「要支援」(介護保険改正前の介護度)の状態でしたが、それでも認知症のご主人の介護を継続・・・。
しかし、自分の身体の状態もあり、ご主人はグループホーム入所、入所後1年ほどでお亡くなりになりました。
Gさんの落胆は大きく、亡くなってしばらくは、その当時まだ自宅に置かれていたご主人の骨壺に話しかけている日々が続き、外に出ることもめっきりなくなります。
私が訪問するたびに、「お父ちゃん(Gさんはご主人をこう呼んでいました)がいなくなってさみしい・・・」と、自分でまとめたご主人のアルバムを私に見せては思い出話しを聞かせてくれていました。
その頃に私が、今の地域包括支援センターに移ったため、お会いする機会がなくなってしまい、気がつけば、あれから2年の歳月が経過しています・・・。
今、私たちの地域包括支援センターを中心に、「大都市部東京の高齢化を考える」というNHKの番組作りが進んでいますが、この取材の協力をGさんが快く受けてくださいました。
記者の方と一緒でしたが、2年ぶりの再会。玄関に着くと、玄関前をほうきで掃いているGさんがそこにいました。
「あ~変わっていない・・・・」と、ほっとして自宅の中に入りましたが、家の中に入ると立って移動することができず、はいずって移動する状態になっていました・・・。
話を聞くと、家の周辺は、手すりをつかまり何とか歩いていますが、立ち座りが困難になり、遠くへ行くことは一人でできないということでした。
それでも、ご主人とGさんがここに住んで50年。
いまでも近所づきあいは多く、ご主人が亡くなってからは、ずっと趣味で行っていた日本舞踊を続け、一人では歩けなくなった今でも、週1回、友だちが迎えに来てくれて、近くの社務所まで介助して連れて行ってくれるそうです。
「立って踊れないけど、椅子に座って手だけ動かして、踊ってんの

」
話している間、電話が引っ切りなし。そのたびに、NHKの記者さんが、子機を取りに行き、Gさんに渡す。電話はすべて踊り関係のお友だち。
「電話が鳴ってもすぐに出れないから、友だちみんなに10回以上鳴らさないと出られないって言ってあんの、今日は早く出るからみんなびっくりしてるわ!」
介護の日々を越え、
おとうちゃんの死を乗り越え、一人で歩くことはできなくなったが、大好きな舞踊を続け、明るく生きているGさん・・・。
Gさんが、今こうしているのは、医者のおかげでも、私たち専門職のおかげでもない。50年お父ちゃんとこの地で暮らし続け、つながり合ってきたお友だちがいたからです。
私たちは、Gさんができないことを援助する。しかし、Gさんの楽しさや生きがいは提供することはできません。
これはいくつになっても、自分自身でみつけていくものです。そしてこの部分にもし力を貸すことができるとしたら・・・、やはり、近くにいる友人や隣人なのかもしれません・・・。
最後にテレビ出演の話しを記者の方がしたら、Gさんは嬉しそうに照れながら、「まあ、どうしましょう・・・!近所の友だちみんな私のこと知ってるから、テレビなんか出たら次の日から電話が鳴り続けちゃうわ

・・・・・まんざらでもない様子のGさんでした・・・。
事務所前の空き地に、曼珠沙華(彼岸花)が咲き誇っています。
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