「おおた高齢者見守りネットワーク」を、まるでのどの渇きを埋めるように、仲間と共に形作ってきた・・・。
のどの渇き・・・・。
あのとき、このような会を発足させたいと、代表のNさんに言い寄っていった自分自身ののどの渇きとは何だったんでしょう・・・?
専門職として、地域包括支援センター職員として、申請に来る方を事務所で待ち続け、時に地域への普及啓発、実態把握に出かけ、介護予防プラン作成に追われる日々・・。
「今の体制の中ではこれ以上はできない。忙しい、手いっぱい!包括職員として、十分役割を果たしている・・・」と、自分の中で、言い聞かせてはいるものの、「本当にこれでいいのか?」
このような中で感じていた空虚感・・・、これが、
のどの渇きだったように思います。
介護が必要になっても自分では助けを求められない、手を挙げることのできない一人暮らしで認知症の高齢者。
近隣・地域との関係を閉ざし、人との関係の絆が断ち切れている人たち・・・。
このような人たちに、本当の意味で専門職として手が届くことが、このような毎日でできるのか?
このような、私たちを必要とする人たちにどうやったら手が届くのか?この答えがあるとすれば、今の私は、この会を広げていくことがイコールにつながっています。
今の包括支援センターの業務をしているだけでは、私たちを本当に必要としている人は見えない・・・。
たとえ見えたとして、いきなりその人たちのところへ行ったところで、重く閉じた玄関の扉を開けることはできない・・・。
当たり前ですよね。
要は、手を挙げられない、私たちを必要とする人たちのところへ届くための近道はないということ!
いきなり私たちが、その人のところへ、その人の生活へ入り込むことは、今までの生活や価値観に土足で入るようなものです。
専門職が関わること=支援
地域に暮らす者同士が関わり合う=おたがいさま
いったいどちらが、その人の扉を開けることができるのでしょう・・・。
むかし話の「北風と太陽」みたいですね。
村人のコートを脱がす力比べ。
北風は何とかコートを吹き飛ばそうとする。そうすればするほど、相手は身構え、コートをしっかりつかもとする・・・。
太陽はあたたかさとともに、村人自身がコートを脱ごうという気になるために力を注ぐ・・・・。
必要としている人たちに、私たち専門職の手が届くためには、自分たちだけではどうやったって無理なんです。
今、支援とおたがいさまの協働作業が求められているんです。
地域に暮らす人たちのあたたかさと力を合わせて、「この人たちなら、手をさしのべてもらおう・・・」と、今まで着ていた重いコートを脱いでもらう。
そのために地域の人たちに、自分たち専門職が、垣根を越えてこの会を創った思いを伝えていく。
近道などない・・・。
だから、必要としている人たちに私たち専門職の手が届くまで・・・・、この会に力を注ぎ続ける気でいます。
実を結ぶまで力を込める・・・。大変な道ですが、ず~~~~~っとのどの渇きを我慢するよりよっぽどまし!
ここにのどの渇きを感じている専門職は、私だけではないはず!
この集合体が、「おおた高齢者見守りネットワーク」なんです。この輪の中にいるメンバーなんです!