児童演劇の仕事をしていた頃、年に1回の祭りを開催していた。
多摩川の土手で行うものだが、このお祭りで、青年たちがあることを考えた。
「子どもたちが喜んでくれるような、スケールの大きい入場門を作ろう!!」
毎日、毎日、大学や職場が終わったあと集まる。祭りの日程が迫った週末などは、翌日が休みなので徹夜で準備したこともあった・・・。
すべては、「参加してくる子どもたちに喜んでほしい、子どもたちの本当の笑顔を見たい!」その思いだけ。
祭り当日。多摩川の土手には入場門が出来上がっていた。はるか遠くからでも、お祭りがどこでやっているかわかるように大きくそびえ立つ入場門。アーチ型の両脇の柱には、子どもたちが喜びそうな怪獣。
「きっと子どもたちは喜んでくれるだろう・・・・。」
まもなくやってくる子どもたちが、どんなにいとおしく、心躍らせて、この門をくぐってくれるだろう・・・。
しかし、やってきた子どもたちの反応は、私たちが思っていたものではなかった。
入場門をくぐるどころか、その前に、両脇の怪獣めがけて、パンチやキック!しまいには、入場門を倒そうとする子どもたちまで出る始末

「こんなにがんばって作ったのに・・・・。」
青年たちの落ち込みはすごかった・・・。そりゃあそうです。祭りが始まる頃には、入場門はこわれちゃっていたんですから・・・。
翌年、祭り会場には、やはり入場門が立っていた。ただ、昨年とはちがった。
純白の画用紙を貼り付けただけの入場門。やってきた子どもたちのために、刷毛と絵の具が置いてある。祭りにやってきた子どもたちは、置いてある刷毛と絵の具を持ち、入場門に自由に絵を描く。
中には、手のひらに絵の具をつけ、ベタベタと手形をつける子もいた。
青年たちと、子どもたちが共同作業でつくり上げた入場門は、一日中、誇らしげに祭りを見守っていた・・・。
このときに学んだことは、自分の中に刻み込まれている。
自分が関わっていないものは、どんなにすごい立派なものでも、大切なものとは感じない。どんなに他の人が努力して作ったものでも、その価値は、自分が手がけない限り感じられないんです。
だから、どんなことにも関わってもらうんです。積み上げるものに協力してもらうんです。その人の手型を、この取り組みに刻んでもらうんです。
「おおた高齢者見守りネットワーク」(みま~も)
この取り組みを多くの人が大切なものと感じてくれるように、さまざまな人が関わってもらうように・・・、考えるんです。
一部の人が自己犠牲的にどんなにがんばっても他の人はついてこない。
それどころか、お客さんと一部のがんばっている人・・・。この図式ができてしまい、一部のがんばっている人も、手ごたえを感じることができず疲弊してしまう。
これでは意味がない。多くの人が関わる。大切に感じて動く人が増えていく。そうなるよう、考えるんです。一人のちょっとしたがんばりを逃さないんです。
そこに力を込めましょう!!