「割に合うか合わないか・・・」
こんなもので、自分のやるやらないを判断するのなら、やらない方を選んでほしい。その方が一緒に取り組もうとしている人たちに被害が及ばない。
割に合うか合わないかが、自分の行動指標でいるうちは、割に合うものはいきいきと行い、少し大変になったりしんどくなると平気で責任を他者に押し付ける。
または、「(自分は)こんなにがんばっている
のに・・・ 」と、自分自身の未熟さを振り返ろうとはせず、悪いことはすべて他人のせい・・・。
もっと、自分の正味の部分で、やりたいもの、やるべきもの、価値あるものをみつけていきましょうよ!
「割」を判断基準とする。それをやることによって3割しか得られないかもしれない、もしくは1割かもしれない。
たずねたいのは、あなたのこの「割」とはなんなのですか?物ですか?名声ですか?では、何割であれば割が合うと感じるのですか?
やることによって、自分に何かを求めること自体が意味のないこと。
何かをやりだす、取り組む。自分が大事だと思うから動き出したのですからこれだけで十分ではないですか。
人生の中で、自分が大事と思えるものに出逢えたのですから・・・。自分が大切だと思うものに力を込めているのですから・・・。
この正味の部分がしっかりとありさえすれば、失敗も自分が生きていくうえでの大きな学びや財産になるはず。
「割」などで図ることなど決してできない価値がそこにはあるはずです。
そこに価値を見出せる自分でいたいと思っています。