何かを創りあげていくうえで、最も大切なことは、「どうしても、何があってもそれをつくりあげたい」という、結局のところ気持ちのようなものだと思います。
これは、言葉で言い表すと
衝動ということになると思いますが、とても説明しにくい内容のものです。
よく芸術家に「あなたのつくった作品のテーマは何か?なぜこういう作品になったのか?」と質問しても明確には答えられない・・・。それと同じような気がします。
私も今までの様々な経験の中で、あらかじめ「こういった理由で○○をつくりたい!」というふうに、何かを創るときに前もって明確であったことはほとんどありません。
曖昧でモヤモヤしていて、「どうしてもつくりたい」としか言いようがないものが、自分の内に湧いてくる・・・それが衝動というものなのでしょう。
行動を起こす、最初から先を見通していく。それは大切なことでまずやらなければいけません。
しかし、私には、最初に思い立ったことを違えることなく、シナリオどおりに進めていくことはとても考えられない。逆にそんなことはあり得ない。むしろその方がおかしいのではないかとすら考えています。
生身の人間であり、様々な考えを持つ人たちと話し合ったり考え合ったりしていくと、思い通りにはならないこと、とても無理があることなどが発見できる。
また、その逆で最初には、想像もできなかったような 動きが発見できることだってあります。
つまり、私が大切にしたいことは、自分が思い、描いていたことを動いていく中で、常に疑問を持って「ほんとうにこれでいいのか?」「間違っていないか?」と考えていく精神です。
特に人と人が力を合わせていくうえで完璧なんてあり得ません。でも、そこに多くの人が集う限り、考え合って動いていくうちに、少しづつ思い描いているものに近づいていくことは確かです。
その思い描いたものに近づけていこうという気持ちを持ち続けていくこと自体が、じつはその人の持っている才能というものではないでしょうか?
創ろうとしている人が主であって、思い描いた計画が多少ずれていようがさほど決定的なことではない。
計画を重視するあまり、じつはそれができあがった時に、どこにも血の通った人間の姿がないという結果になることだってあります。
思い描いたことを創りあげていく人たちの姿が、苦労が、喜びが、最初とは多少違うけれども形になっていく。それこそ、自分たちで創りあげた尊く、大切なものになるのでしょう。
私たちが思い描き創りあげていくものは、形ある作品ではありません。形には現れない、人と人とのつながりです、ネットワークです。
ですから目には見えないこのネットワークを創る課程でやはり一番大切なもの、それは、「創らずにはおれない」という内に燃え上がった最初の衝動の力の強さの度合いによるのだと感じています。
私の田舎は、駅からバスで3~40分の山の上の上の終点です。行き、帰りともに午前3本、午後3本しかバスが走りません。高齢化が進み、バス停も心なしか寂しげです・・・。
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