当包括支援センターは、私を入れて6名。
Hくん、たぐナース、I 主任ケアマネージャー、おはなナース、たわ子、そして、私で6名。
いえ、じつは7名なんです。
そう、1年2ヶ月前、家の都合で宮城県仙台市に旅立っていった第3のナース!
我が包括支援センターで初の、永久欠番職員となったその名も
「絵描きナース!」
「おおた高齢者見守りネットワーク」の年間パンフレットに描かれている絵は、絵描きナースが描いたもの。
みま~もレストランの立ち上げも、NRE大森弥生ハイツ片山施設長、S管理栄養士たちとともに熱意を持って取り組んでくれた。
そして、昨年4月。この大森から、実家である仙台へ家族とともに旅立っていった。
そう、この絵描きナースが、遠く旅立っていった今も、変わらずに私たち包括支援センターの職員なんです!
あれから1年2ヶ月・・・・。
お互いいろんなことがありました。
絵描きナースが情熱を注いできたみま~もレストランは、今、みま~もステーションというこの地域のコミュニティーの場として発展している。
絵描きナースは・・・・、東日本大震災を宮城県で被災した。
「あの子はどんなことがあろうとも、前を向いてみんなを明るく照らす。
その明るさは、まわりが苦しいとき、悲しいとき、誰もが歩みを止めたくなるようなときほど、まわりをやさしく照らす・・・」
そういう子なんです!
連絡が取れないときも、会えなくても、そう信じていました。
東日本大震災から3ヶ月。みなさんから後押しされて、昨日、仙台へ行って来ました!!
仙台駅の改札を出ると、そこには、少しも変わらない、絵描きナースが笑顔で出迎えてくれました!
今日、この日だけは、以前同様二人で協力してネットワーク構築をする約束をしていました。
宮城県の地域包括支援センターでは、震災後の状況についてセンター長Sさんと意見交換。
最後に「看護師でどうしても包括支援センターで働きたい!という希望を持っている珍しい看護師を採用したいという市内の包括支援センターがあったら、この子に直接連絡してください!」と、ちゃっかり絵描きナースをアピール
そのあとは、「石巻復興プロジェクト」の代表 津田さんと、今後大森で行うイベントについて話しをしました。
この頃になると、もう絵描きナースは、うちの包括職員だった頃と変わらないオーラが
ビンビン!
楽しいときはあっという間に過ぎるもの。
帰りの新幹線に乗って、福島駅を過ぎている頃、絵描きナースからメールが届いた。
『 昨日は本当にありがとうございました・・・。楽しすぎて・・・、あまりに時間が経つのが早すぎて・・・。
こんなに別れがつらいとは思いませんでした。
私は東京で、こんなに支えられて、愛されて生活していたんだと改めて実感しました。
戻りたい思いばかりで立ち止まってしまいそうでしたが、沢○さんがくれたたくさんのチャンスや愛情を、自分の夢のために生かせたらと思います。
幸せって、離れたり、失ったときに感じるんだと思うと、東京でもっともっと沢○さんに甘えておけばよかったと思います (さんざん甘えていましたが・・・・)
本当に忙しいなか、会いに来てくれてありがとうございました。
また、笑顔で会えるように・・・・・。 』
はい、また、笑顔で会いましょう!それまで、お互い自分が立っている地で、自分らしく精一杯生きていきましょう!
今から1年2ヶ月前。宮城へ旅立つ絵描きナースに、心を込めて書いたブログ記事「絵描きナースよ永久に!」
あれから大きな大きな試練を乗り越えてきたんですよね。
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『 当包括支援センターリーダー、Hさん(通称 絵描きナース!)が、今年度いっぱいで退職となる。本人もこれからずっと包括支援センターで働きたい希望を持っていたが、転居のため泣く泣く受け入れた。
わが包括支援センターは、私も含めて、絵描きナース・Hくん・Tさんが、今から3年前、ほぼ同じ時期にこの包括支援センターにやってきた。
以前、この包括で働いていた皆さんが、定年や、転居等でドッと退職になってしまった・・・。そこに私がセンター長でやってきた。残ってくれたのは、現在、主任ケアマネージャーとして私たちを支えてくれている I さんのみ。
絵描きナースは、当時、法人内の訪問看護→外来看護師などで働いていて、どこの部署にいっても絶大な信頼があった。周りを明るく元気にしてくれるHさんを、看護部長に無理を言って、やっとの思いで来てもらった。
今のメンバー5人の体制で歩み始めたのが3年前。
その1年後に「おおた高齢者見守りネットワーク」を発足。私の思いをまっすぐに受け入れてくれたのも絵描きナースでした。地域の専門職、地域に暮らす人たちの中にどんどん入っていって、このおおた高齢者見守りネットワークを牽引してくれました。
唯一、地元在住の職員である絵描きナース。
わが子の小学校の校長先生に、この会の趣旨を伝え、小学校行事の夏祭りにネットワークのメンバーが参加したり。
わが子の学年(6年生)で認知症サポーター養成講座を企画し、「講師は沢○さんにやってほしいんです!」と、勝手に講師を決めちゃったり・・・・。今となってはなつかしい思い出です。
今年度からスタートした「みま~もレストラン」も中心で関わり、1年目を決して揺らぐことなく、楽しく、一心に、仲間とともに形づくってくれました。
わが包括支援センターが、「おおた高齢者見守りネットワーク」発足に歩みだした。そこに、この絵描きナースがいたことは、必然であったというような気がしてなりません。
「この取り組みが軌道に乗るまでだよ・・・」と、期間限定で神様がこの人をさし向けてくれたような気さえしてしまいます。
絵描きナースは、「この包括支援センターで働かせてもらって、包括職員としてまだまだやりたいことがいっぱい出てきました!」と、新天地でも包括支援センターで働く意思があることを私に告げてくれた。
そんな絵描きナースですが、最近ではこんなことも私に話していました・・・。
「包括での3年を、最近振り返ることが増えました。いろんな出逢い、経験、たくさんの挑戦、そして・・・・、つながり。地域力、これを創り出す、結びつけるのはみな人です・・・・。
もっともっとこの包括支援センターで、たくさんの出逢いや思いをぶつけ合って、おおた高齢者見守りネットワークの会が、だんだん広がっていくのを直に見たかったなぁ・・・ 」
何をおっしゃる絵描きナース!あなたは当包括職員の永久欠番ではなく、永久職員です!
広がりを直に見たいのなら、転居先で見守りネットワークをすぐ作っちゃいなさい!交通費を、そちらの包括か自治体で出してくれればいつでも応援に行きますよ!!
これからもともに歩んでいきましょう。自分自身の思いをずらさずに歩んでいれば、きっときっとまた力を合わせることもあるでしょう。その日までじゃぁな! 』
おおた高齢者見守りネットワークのみなさんが、手作りの一品を持ち寄って催してくれた絵描きナースの送別会。
あれから1年以上が経ちました・・・。
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見守りネットワークの皆さんのご配慮で、絵描きナースに会いに仙台へ出発!
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かばんには、絵描きナースに渡すためにみま~もサンバイザーをひっかけて・・・・。恥ずかしかったですが、かばんの中に入れたら形が崩れてしまうもんね。
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仙台駅に着くと、絵描きナースが来るまで迎えに来てくれていました。包括職員たちが、絵描きナースに作ってくれた思い出カードを大切そうに見ていました。
まずは、仙台市の中でも大きな被害を受けた荒浜地区へ。
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そこは、時が止まっていました・・・。音も、人の生活もすべてのものが、あの日以来なくなってしまったのです。
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『石巻復興プロジェクト』代表の津田さん!
「今は、食料ではないんです!雇用なんです!」、自身の鮮魚店も再建の見通しが立たない中、「自分の店だけが再建できたとしても、地域で1件だけで何ができるのでしょう?地域全体が復興していかなければ、自分の店だけがよくてもだめなんですよね」
熱い思いが、まっすぐストレートに伝わってきます。
大森の商店街でのイベントでまた会いましょう!!
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絵描きナースの実家へ!そこには、絵描きナースの長男「しゅうた」が・・・。
最初は、恥ずかしがっていましたが、すぐに1年前のように寄って来ました
そうです!この子が20年後の「地域包括支援センター入新井センター長」です!
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楽しいときは、あっという間に過ぎるもの。
絵描きナース、また会おうな!
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大森に戻ってきました。
みま~もステーションができる商店街には、石巻復興プロジェクトと連携して実施するイベントの案内があっちにもこっちにも・・・。
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お帰りなさいませ。
みま~もの思いを届けていただき、ありがとうございます。
大変な中でも、笑顔無くさずにいてくれて、よかったです。
絵描きナースの写真、少ないですよ!(ファンより)
お疲れ様でした。また、東京に呼んでください!しゅうたも最高でちゅっ!!
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私も絵描きナースに愛を感じました。
いつまでも、私にとっての大先輩であり仲間ですからね!!!