私の本家は、山梨県甲州市勝沼から30分ほど山を登ったところにある。
父の兄が本家を継ぎ、母の姉が嫁ぎ、この家を守ってきた。
祖父は私の名を付けてくれたが、間もなく亡くなった。祖母は私が大学時代に認知症の進行の末亡くなった。
祖母は11人の子宝に恵まれたが、長男は戦死。そのすぐ下の双子の姉妹も生まれて間もなく亡くなったそうである。
残された8人の子どもたち、孫に看取られての大往生でした。
本家のすぐ近くに嫁いだ伯母が、認知症が進行していく母、母の看取り、母を送った心境を10の短歌にしたためたものが、本家にはずっと飾られている。
伯父は7年前に亡くなり、伯母も先日亡くなった。
伯父、伯母の二人の子どもたちはすでに本家を離れ、家庭を持ち暮らしている。
私が子どもの頃、盆や正月にはあれほどまでに姉弟、孫たちであふれかえっていた本家は、守人がなくなり、今後は子どもちがごくたまに来て、空気の入れ換えを行っていくそうである。
本家の伯母の49日法要に行ってきた。
本家近くに暮らす、今は祖母と同じ米寿を昨年迎えた伯母の10の短歌が、今、なぜか心打つ。
「この母と 幾夜添い寝ができむかと 夜のしじまに顔なでやりぬ」
「寒風に 木葉散るごとき母の命 霜月の月冴え今宵を」
「親送り 心に大き穴あくは 父母の力の沁みて思わる」
本家近くに暮らす伯母がしたためた10の短歌が今も飾られている。
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本家伯母の49日法要に行ってきた。
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四十九餅が配られました。
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