大きな桜の木があった・・・。
その場のどの木よりも、大きく枝葉を広げている・・・。
故に、風雨にさらされ、嵐に叩きつけられ、その場のどの存在よりもわが身を傷つける・・・。
この木があるから、地に咲く花や小さな草木が守られ、生き生きと育ちゆく。
花が咲き、人が集う季節には、自らの両腕を精一杯広げ、心惹きつける。
そして力尽き、花を落とすと、また1年後の花が咲くこの一瞬のために、残りの日々を耐えしのぐ・・・・。
残りの日々のつらさ、傷つく様を見せることなく、ただその時期の己を見せるのみ・・・。
そして、役目を終え、消えていく・・・。
見えない部分を、見えない努力を知ることなしに、そのものの価値などわかるはずがない。大きく枝葉を広げるために、どんな日常があるのか・・・。
すべてを言えればどんなに楽でしょう。
物言わない木は、自分の価値を、自分の精一杯の努力を決して語ることはない。
自分の枝葉に咲く、美しい花がすべて。それ以上でも、以下でもない・・・。
私欲を持ち、枝葉を広げても花など育たない・・・。
花を咲かす・・・、それ以外のものを見て、肝心の見えない部分を感じずに傷つけて何になる!
枝葉を大きく広げた木は、傷つけなくとも風雨にさらされている分、自らの役目が終われば、自ら倒れ、土となる。
その土の栄養で、また何か新しい生命が生まれるのでしょう。
それだけの話し。