みま~もを平成20年に立ち上げ、7年目を歩んでいる・・・・。この間、多くの節目があった。
その中でも、東京都 福祉保健局 高齢社会対策部 中山部長 (当時 大田区保健福祉部 部長) との出逢いがなければ、今のみま~もはなかったのではないでしょうか・・・・。
地域包括支援センターのあるべき姿を具体化する。 そんな思いで 『 みま~も 』 を発足した。
自治体の委託事業である地域包括支援センターセンター長として、このような新たな取り組みを行うにあたり、委託元である大田区の包括担当課へ説明に行きました。
「 はい、はい、そうですかぁ・・・。 」
私の話しを相槌を入れながら、否定も肯定もせず聞いた担当係長 (当時)は、
「 わかりました。あくまで澤登さんの地域包括支援センターが、独自の責任で行うというのであればいいことだと思いますし、取り組んでみてください。 」 と、まったくの他人事。
さらに追い打ちをかけるように、区保健師の方からは、
「 このような取り組みをすることはいいことだと思うのだけれど、どうしてダイシン百貨店さんだけなの?その地域には、イトーヨーカドーさんもあれば、カドヤ食品さんもあるじゃない? 区の委託事業の地域包括支援センターが、一民間企業と取り組むということに対して拒否反応を示す人もいるから、その辺は慎重にした方がいいわよ 」 と、ありがた~~~~いご忠告という名の否定

無理もない。当時、「地域包括ケア」などという言葉がここまで全国に広がってなどいなかった。
しかも、ネットワーク構築に向けた大田区としての方向性などない。(このときから4年後、大田区としての方向性がキーホルダー事業スタートとともに出たのです。)
このような時期に、中山部長が大田区保健福祉部長(当時)として、東京都から3年間、出向という形で赴任してきたのです。
産声を上げたばかり、まだよちよち歩きの「みま~も」・・・・。
就任してまもなくお会いすることができたとき、中山部長は私たちが目指す「みま~も」の取り組みを熱心に聞いてくれた。
みま~も2年目、大田区が出すテーマに沿った団体の取り組みに助成金(地域力応援基金助成)が交付された。
中山部長は、この助成に申請するよう私に熱心に勧めてくれた。
「この助成金にみま~もとして申請してみなさい。これだけの取り組みをしているのだから、可能性はある!」 と・・・。
助成金のテーマとは、
「高齢者見守りネットワーク構築」 。まさしく、みま~ものためにあるようなテーマだったのです。
この助成金に申請、大田区として最初の助成金受諾団体となったのです。この助成金で、みま~もは 「SOSみま~もキーホルダー登録システム」をスタートさせた。
キーホルダ事業をスタートさせた時、誰よりも喜んでくれたのは中山部長でした。そして大田区を離れ、古巣、東京都福祉保健局部長として就任。
今でも中山部長は、私が別れの際にあげたキーホルダーを、肌身離さずに身につけてくれている。
中山部長が、東京都に戻ってから3年が過ぎた。
「ポール・ウォーキングの各団体が主催するシンポジウムにぜひ、中山部長をシンポジストとしてお呼びしたい。澤登さん頼んでもらえないだろうか???」
みま~もが、ポール・ウォーキングの団体とともに取り組んでいるポール・ウォーク。この代表 木谷さんから中山部長のシンポジスト登壇依頼をしてくれないかと頼まれたのです。
返事は、即 OK! 先日、都庁へ打ち合わせに行ってきました。
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中山部長にどうしてもプレゼントしたいものがあり、大森から都庁まで持ってきたものを渡します。
中山部長:
「 何だろう??? 」
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じゃじゃぁ~~~~~ん! みま~もまんじゅう~~~~!
とても愛おしそうに手に取る中山部長が印象的でした。
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中山部長は、とてもいとおしそうに食べてくれましたよ

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打ち合わせ後は、都庁内にある居酒屋へ・・・・。
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中山部長が東京都へ行ってからの3年間、みま~もが歩んできた軌跡をじっくり話してきました。
私の話を、「うん、うん、それはいい!」と、ずっと微笑んで聞いてくれていましたよ。
そして、私にこう話してくれました。
「あの当時、私の頭の中でもこうなったらいいというイメージが合った。でもそれはあくまでイメージ。 でも大田区に行って、私のイメージそのままに、すでにいきいきと取り組んでいる団体があった。それがみま~もだよ。」 と・・・・。
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中山部長、いつもみま~もを見守っていただきありがとうござます。これからも一緒にみま~もの更なる成長を見届けていてくださいね。
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中山部長が参加する 「介護予防シンポジウム ~ノルディックウォーク・ポールウォークで楽しい毎日を~ 」の案内チラシは、こちらをクリックしてご覧ください。