24時間テレビに『ジュピター』が流れている・・・・。241人の大演奏会・・・。うたごえが鳴り響く。
心打たれないわけがない・・・。
『 いつも自分の心にたずねる。ひとりじゃぁない・・・!深い胸の奥で人はつながっている。
私のこの両手で何ができるの?
・・・・・夢を失うよりも悲しいことは 自分を信じてあげられないこと・・・。
愛を学ぶために 孤独 があるなら 意味のないことなど起こりはしない・・・・。だから心の静寂に耳を済ませる・・・・。
私を呼んだならどこへでも行く・・・。あなたのその涙 私のものに・・・・。
私たちは誰も一人じゃない・・・ありのままでずっと愛されている。望むように生きて 輝く未来を・・・。』
ただ、この2週間あまり、身の回りで起こる高齢者の現実を目の当たりにしてきた今の自分には、この音楽はむなしさすら感じさせる・・・。
十何年、この現場で仕事をしてきたが、高齢者をめぐる現実を前に、いったい私たち現場の専門職に何ができるのでしょう・・・。
自分ではSOSの声を上げることができず、誰にも知られず姿を消す。こんな人たちに、支援どころか、足取りを追うこともできない現実。
少子高齢化の進展は、何年後かには、親族という形態自体を消滅させる。
目の前の、自分から支援の手を求めてくる高齢者に手いっぱいの専門職たち。
でも、その求めてくる方たちの相談も、今の社会を繁栄し、経済問題、家族問題、虐待・・・、多問題化し、他職種連携して、やっと支えている状況。
専門職である自分の限界を感じて、「おおた高齢者見守りネットワーク」を発足し、3年間必死に歩んできた。地域づくりセミナー、みまーもレストラン、そして、
『 SOSみま~もキーホルダー登録システム 』 。
一歩一歩、自分では声を上げることのできない人たちに、自分たち専門職が手をさしのべることができることを目標に、歩んできたつもりです。
でも・・・・、近づくことはできても、それ以上何もできないむなしさを、歯ぎしりするほどの悔しさをこの数日味わっています。
自分自身のこの両手で、いったい何ができるのでしょう???
学ぶために孤独があるのなら、本当に、意味のないことなど起こらないのか???
孤独な人が、一人じゃぁない!と、感じることがあるのか???
週末、一本のメールが届いた。
「沢○さんもブログでお伝えしているとおり、現場のみならず、社会全体で、『 最後の力を振り絞り、考えるべきこと 』ではないかと感じます・・・。現場の人たちだけで考えてどうにかなる次元は超えています!」
この間かかわっている、記者からでした。
この記者との関わりを書いた記事「心打つ姿勢」はこちらをクリックしてご覧ください。
たしかにそうかもしれません。でも、私は、この地域の一専門職です。この地域の現実の中で、この自分の両手と合わせてくれるもう一つの手と、手と、そして、手とつないでいく先に、手を上げられない人たちの手がある。そこに、この両手を使いきりたいと思います。
社会全体のことは、その力を持つ人たちに任せます。ただ、早くしてください!『ジュピター』の音楽を、荘厳なものとして、心打つものとして感じられるうちに・・・。