「見守り・支え合いも、孤独死をなくす取り組みも、最終的には、町づくりに行き着くんですね・・・。」
先日、みま~もについて取材に来た、ジャーナリストのYさんと話しをしたときに、このような感想を私に伝えてくれました。
私たちは、誰しも自分たちが暮らす、この「場」で生きている、生活をしている・・・。
生活の中での充足感、とくに、老後の充足感は、財政的なゆとり、医療や介護を受けられる安心だけで満たされるものではない、それがすべてではない。
生活とはもっと全体的なものだと思うんです・・・。
嫁の愚痴が言える相手がいる。趣味を分かち合う友がいる。電話一つで修理に来てくれるなじみの電気屋さんがいる。
そして・・・、自分が生きてきた思い出の詰まった家、そこに盆や正月にやってくる息子や娘、孫・・・・。
このような日常があり、なおかつ、医療や介護の安心が備わる。
生活とは、どれか一つ特化して充足されるものではない。
言い換えれば、地域に暮らす生活者、地域で働く人々、医療・保健・福祉専門職、行政機関等が、それぞれで地域というものを描いていっても、全体的な『生活』、『暮らし』というものにはなっていかないということ。
それぞれが顔を合わせ、その地域に合った、地域に根ざした『生活』を描いていく。それなしにそれぞれで描いて形作るものは、お仕着せの『生活』でしかない。
このお仕着せの『生活』というものは、狭義に描いた『生活』でしかなく、結局は地域に根ざすことがなく、長続きはせず、消えていくか忘れられていくだけ。
見守り・支え合い、孤独死をなくす!
大切なことです・・・。大切だからこそ、一時の盛り上がりではなく、息長く継続していくことが必要なんです。
『生活』とは、一部が満たされて充足するものではなく、もっと全体的なもの。生活に根ざしたもの。
そうであるからこそ、その地域に暮らす、働く、あらゆる人たちが顔を合わせ、描いていくものなんです。
地域のあらゆる社会資源、人、団体、機関、企業が、生活を全体的なものにするためにつながる必要があるのです。
だから、ネットワークなのだと思うのです。
そして、生活に根ざした場があちこちに生まれる。
一つの箱物(施設等)を作るよりも、生活に根ざした場が地域のあちらこちらに、縦横に生まれることの方が大事だと思っています。
それが、結局は町づくりにつながるんですかね・・・・。
先日、みま~ものおふくろさん Nさんが、みま~もステーションの講座の帰りに立ち寄ってくれました。
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講座のときのお昼ご飯を用意してくれて、包括の職員にも持ってきてくれたのです。
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ありがとうございます!おふくろさん・・・・

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煮物、おいしかったなあ~