先日、ある方から話しがあった・・・。
ある件で一緒にがんばってきた方です。
そして、2年かけてそれが今、実ろうとしている・・・。
何か新しいことを行う時には、必ず様々な意見が出る・・・。私自身、それはいいことだと思ってます。意見を出し合い、検証し、決めていくことが大事!
ただ、よくあることですが、この物事に賛成なのか、反対なのか、それすらも当事者でありながらはっきりせず、一見、一緒に関わっているように見せながら、自分は何もせず、一生懸命頑張っている人に批評を行う・・・。
一緒に関わっていながら、がんばって行動した人に対して、とうとうと批評をはじめ、しまいには、この人が間違っていると言わんばかりの批評攻撃・・・。みんなの頑張った価値まで吸い尽くす。そして、「この人のためにいいことを言ってあげた・・・」と、自分は自己満足、自己陶酔の世界・・・。
自分は何もせず、誰かがやったことにもっともらしい批評をするような人より、その場を何とか実らせようと一生懸命相手に伝わるよう、調べて、学んで、話しをする人の方が、どれだけ価値があるか・・・。
ちょっとぐらい言葉足らずだったとしたっていいじゃないですか!
そのあとみんなで、足りなかったことを伝えればいい・・・。一緒に関わってるんだろ!その場で足りないことをその人のせいにしたって意味がない。
この人は、自分のためなんかじゃなく、全体を考えて、率先して頑張ったんじゃないか!
いつまで、誰かに任せて、自分は傷つかない高みにいて批評を重ねているんだ!
専門職に批評家はいらない・・・。例えば、私が同様の批評家であったら、ケアマネージャーとの関わりも、地域包括支援センターとして、ケアマネージャーが作成したケアプランを「いい」「悪い」と批評するだけ。考えようによっては、こんな楽なことはない。
でも、そんなことしていたって何の意味もない。対等に考えあう、一緒にやってみるところからしか、信頼や育ち合う関係なんていつまでたっても創れませんよ!
もっともらしい批評をそれほどまで言うんだったら、本当にそうだと思っているなら、その通りに自分でやってみろ!出来るもんならやってみろ!実際にやってみれば、この人がやったことの価値がわかるはず。
ちっとも失敗なんかじゃない。100点満点の卒のない話より、50点の心のこもった話のほうが相手に伝わることだってある。誰もやろうとしなかったことを、当然のように努力してやった価値をきちんと見なさい。
このような憤りはオリンピックが開催される間隔ぐらい自分としては珍しい・・・。
批評家さん、恥を知りなさい!
私は、一生懸命努力したこの方に、敬意とエールを贈らせていただきます・・・。
詳細が書けないのでこんな内容になってしまいました。申し訳ありません。