大田区発の地域包括ケアシステム-おおた地域見守りネットワーク(みま~も)

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2010.12.21やるか、やらないか・・・・
  •  自分は、自分が取り組んでみて感じたこと、取り組んでみて分析・整理したこと、体験したこと・・・。
     これしか持ち合わせていない。
     もし、自分が取り組んでいないことを語ることがあるとしたら、それは、明日から取り組んでいくことのみ。
     傍観者で、高みからもっともらしいことを言う・・・。年齢を重ねれば重ねるほど、この深みに足をとられそうになる。
     傍観者なら傍観していればいい。
     実際を創ることがどんなに難しいことか、尊いことか・・・。
     実際を創る過程を通して人は成長していく。自分では『大切』と思っていた薄っぺらな自信を捨てなければいけないことに気づく。
     誰かが一生懸命努力しているときは傍観者。努力して良いにしろ、悪いにしろ、結果が出たときには批評家。これだけにはならない、いや、自分にはなれない・・・・。
     やるか、やらないか・・・・。やらないのであれば、取り組んでいる人に何も言うまい。必要であれば、エールを送ることぐらいでいい。
     一歩前へ歩みだすこと・・・。これをやろうとすること。これ以上に尊いものはないんです!
     そういう人にこそ、自分は惹かれる。不器用でもいい、何かをスタートさせることで、これからの中で学びを勝ち取ることができていくのですから。
     こういう人にこそ、人は集う、力を貸そうと思う、一緒に努力して、うまくいったときに喜び合いたいと思う。
     批評家には生涯なるまい。
     たしかに、傍観者でいるほうが、物事を正確に見ることはできるかもしれない。
     しかし、がんばっている人たちを目の前で見ていて、がんばっていることを知っていて、もっともらしいことを言う気にはなれない。それが必要だとしても、自分が言うことではない。取り組んでいる人たちが、自分たちでみつけていくことに意味がある、価値がある。
     その取り組みに、自らの手を汚さずに、取り組みの過程で傍観者でいることを決めているのなら、その取り組みについて何も言うことなんてできないんですよ!
     本当にその取り組みのことを大切に思うのなら、批評家の皆さん、もっともらしいうんちくを語るのはやめましょう!
     傍観者でもっともらしいことをいう人たちは、不器用でも歩みを進めている人たちのことをとやかく言う筋合いはないんです。
     あなたたちがどんなにもっともらしいことを言っても、何も生み出さない。でも、歩みを進めた人たちからは、きっと何かが生まれるはずなんです!
     わたしは・・・・、自分が歩みを進められなくなったら、後腐れなく退きましょう。
     皆が集い準備をすることがあるのなら、あたたかい握り飯でもご馳走する  それぐらいはやるのかもしれません。
     あとは、見守るだけ。
     歩みを進めている人たちが壁にぶつかり、何かを求めてきたとしても、「それでいい!」。これだけしか言わないでしょうね。
     壁にぶつかって、そこを乗り越えようと考えているその人がいるのなら、いつか必ず乗り越えることができる。
     この人は、自分が大切だと思うことに向かって、歩みを進めている・・・・。
     歩みを進めているからこそ、壁が近づいてくる。歩みださなければ、壁など近づいてくるわけないんですから・・・。
     そして、この瞬間なんです!!
     人が、向かうものに対して必要な自分の根をしっかり張ることができるのは・・・・。
     これ以外、自分を成長させることのできる近道などないんです。
     
     荒川区の『地域包括支援センター社会福祉士会拡大委員会』で講師をしたときに、はるばる熊本県山鹿市の包括のみなさん(5名)が、「大田区の取り組みを聞きたい!」と、参加してくれました。
     研修終了後、デニーズでしばし意見交換。帰りに、山鹿市の観光資料もたくさんいただきました。
     この山鹿市の包括支援センター職員Sさんから、こんなに大きなポインセチアが送られてきました!!
             ↓
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     さっそく大きな鉢に植え替え、事務所に飾らせていただいています。
    Sさん、ありがとうございました!!
             ↓
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