2月12日、おおた高齢者見守りネットワークが年に1回開催している『 認知症セミナー ~認知症の人と歩む町に~ 』が、雪の降る寒い日の中、180名の参加で終わった・・・。
この認知症セミナーの詳細な様子は、今、準備をしているのでもう少々お待ちください・・・・
この「認知症セミナー」・・・。第1部は、当院 副院長 荒井 好範 先生の講演。
そして、第2部は、劇団わらび座による歌舞公演!
『 わくわく和ライブ! 』
この「わらび座」と私の出逢いは、もう20年以上前になる。
「子どもたちにこそ、人類が創った最高の舞台芸術を鑑賞させたい!」そういう思いで母親たちが創り上げた会の専従事務局として、大学卒業後8年間従事した・・・。
日本全国にある様々なジャンル(舞台劇・人形劇・ミュージカル・歌舞伎・バレエ・音楽・・・)の舞台芸術を担っている創造団体を地域に呼び、親子で鑑賞する。
そんな会の事務局として働いていたときに、このわらび座と出逢ったのです・・・。
わらび座の人たちの舞いを観て、
「生きているっていいな」「人間って捨てたものじゃない!」 と、勇気づけられたのは、きっと私だけではなかったでしょう。
あれから20数年・・・。
再び、このわらび座の皆さんを我が地に呼んだ。
今度は、児童演劇の専従事務局としてではなく、「地域包括支援センターセンター長」として・・・・、
いえ、おおた高齢者見守りネットワーク(みま~も)として・・・、
いえ、20数年前・・・。わらび座の人たちの心から湧き出る笑顔に魅了された一人間として・・・。
認知症セミナー当日、2月12日(土)朝10時!わらび座が現地に到着!
みま~もメンバーと搬入を手伝う。そして、打ち合わせ→リハーサル。
リハーサルが済んだ段階で、改めて、劇団の皆さんと自己紹介。
私 : 「今日は、よろしくお願いします!私じつは、以前○○会の専従事務局をしていて、その当時わらび座の皆さんとお会いしたことがあるんです・・・。」
そんな挨拶をして、名刺を渡すと、劇団の一人の女性(Kさん)がものすごい反応をした!
Kさん : 「えっ!
」
そして、手渡した名刺を改めて見返し、私を見つめて・・・・、
「のぼりくん!!」
そうなんです!このKさん、私が専従事務局をしていた頃、舞台を定期的に鑑賞していた高校生だったんです!
同じ舞台を共有していた二人が、20数年のときを超えて、同じ舞台の感動を胸にそれぞれの人生を歩み、今、ここにいる・・・。
一人ひとりの人生の不思議さと、重みと、すばらしさを、愛おしく、尊く感じた一瞬でした。
わらび座の舞台を観て、感動し、わらび座の門を自ら叩き、今、ここにいるKさん。ここまでの道程は、決して楽ではなかったでしょう・・・。
「思った生き方をしたい!」という思いを貫いてきた、Kさんのここまでの道のりを考えると胸が熱くなる。でも、大変だっただろうけれど、私の前にいるKさんの笑顔を見ていると、
自分自身の大切な根っこを守り、育ててきた、まるで、「わらび」そのもののようです・・・。
『 春になると、小さなこぶしをもたげて土の中からむくむくと芽を出すわらび。
野火で焼かれれば焼かれるほど、太くたくましく生えてくる。
その根っこは地下深くのびていく・・・』
後日、さっそくメールアドレスを交換し合ったKさんからメールが届いた。
『 ブログ見ました!のぼりくんの熱い思いが伝わってきたし、「元気なうちから、身近な存在として地域に根ざす!」 という言葉から、みま~もさんの仕事の大切さをすごく感じました・・・・
私たちも、がんばるみなさんの・・・・、そして、地域のみなさんの心の栄養になれるような、元気の出る舞台をめざしてこれからもがんばります!!』
私もKさんにこのようにメールを送った。
『 認知症セミナー公演は、本当にお疲れ様でした・・・。あなたとこういう形で再会できたこと、本当にうれしく、感動しています。きっとまた、お互いこうやって、前を向いて歩んでいれば会えるよね!再会を楽しみにしています・・・』
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民族歌舞団わらび座の 創始者・指導者 原太郎さんの書
わらび座ホームパージ 「名前の由来」より・・・
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『 春になると、小さなこぶしをもたげて土の中からむくむくと芽を出すわらび。 野火で焼かれれば焼かれるほど、太くたくましく生えてくる。 その根っこは地下4~5メートルも深くのびています。
東京で「海つばめ」と名乗っていましたが、本格的に日本の民族芸能の仕事をするため、 秋田県に定住した時、その土地の人々から芸能ばかりでなく、東北各地のさまざまな歴史を、 教えていただきました。
そのなかで、「わらびの根っこ」も見せていただきました。 昔、東北の人々は大凶作で作物がひとつもとれなかった時、わらびの根っこを堀り、 その澱粉(でんぷん)で餅をつくって、飢えをしのいだといいます。 1度掘るとその場所からは2度と芽が出なくなるので、部落の共有財産とし、 みんなで話し合って堀る場所を決めたといいます。
その話から、生きる力の根っこになるような仕事をしよう、人々と共に、土にしっかり根をはり、 暮らしに役立つ仕事がしたいと「わらび座」と名付けました。』
20年前、児童演劇の仕事をしていた時に、わらび座と出逢った時の思い出を記したブログ記事。 『 生命の賛歌 』は、こちらをクリックしてご覧下さい。
わらび座のみなさん・・・。180名の参加者に、大きな感動をくださいました。Kさん・・・、いえ、「づんちゃん」(わらび座での呼び名)も、思いをこめて演じていました。
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づんちゃんの紹介のときに、わらび座の方が二人の関係を話してくれました。思わずステージに上がっちゃいました
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「づんちゃん」が、Kさんだと知って、再会を喜び合いました・・・。そして、記念撮影
一生の宝物です・・・。
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