大田区発の地域包括ケアシステム-おおた地域見守りネットワーク(みま~も)

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2008.11.25北原白秋のマージャン友だち
  •  私がデイサービスで働いていた時、大森の山王地域に住むNさんご夫婦が毎週デイサービスを楽しみにやってきていました。
     その当時(少なくとも8年前)、ご主人が100歳、奥さんが94歳、結婚生活なんと75年!
     大森の山王地域とは、戦前から文化人や財界人などが多数住んでいた横浜でいう山の手の地域。
     特に、大正末期から昭和初期、東京の馬込から山王にかけての一帯(現在:大田区南馬込、中央、山王)に多くの文士、芸術家が住んでいて、互いの家を行き来し交流を深めていました。
    宇野千代、尾崎士郎、川端康成、川端龍子、北原白秋、山本周五郎・・・・・などなど、文士として名を連ねる人たちはきら星のようです。
     当時のこの地域は、武蔵野の面影を色濃く残し、静かな田園風景が広がっていて、いつしかこの辺りを「馬込文士村」と呼ぶようになりました。
     その馬込文士村に住んで75年以上たつNさん夫婦・・・。ご主人は、耳が遠くいつもニコニコ。奥さんは、ご主人の半歩後を着いていくという昔ながらのご夫婦。
     ある利用日、ご主人より40歳年下の利用者(孫ぐらいちがう?)に、Nさんはマージャンに誘われました。
     椅子に座り、マージャン台に手をかけた瞬間、100歳のNさんの表情がギャンブラーの顔に変身 羅琉 ニヤリ
     誘った60代の利用者Mさんいわく「この人はほんものだ・・・ えぇ 」
     後で奥さんから聞いた話なのですが、Nさんは、若い頃マージャンに明け暮れていて、自宅にマージャン仲間を毎日のように連れてきては、徹夜マージャン三昧。
     奥さんは、徹夜マージャンのたびに(ほぼ毎日)、夜食を作っていたそうです。このNさんのマージャン仲間がきら星のような文士の方々・・・。とくに、北原白秋さんは、Nさんの良きマージャン仲間だったとか・・・。
     私がこのデイサービスを退職するとき、Nさんの奥さんは、「もう会えないかもしれないね~」と私の手をぎゅっと握りしめ、そのあと私の顔を何度も何度もさすり泣いていました・・・。
     北原白秋のマージャン友だちNさんは、そんな私と奥さんを見て、ニコニコしながらやはり泣いていました・・・。
     その後、一度横浜にある施設併設の居宅介護支援事業所に1年ほどいたことがあるのですが、な、なんとこのNさん夫婦、この私がいた施設に入所してきたのです!
     しかも75年以上暮らした山王を離れ、心細い思いで来たお二人の前に、ちょこんと私が現れる・・・、二人の喜びようといったら・・・。
     それから、その事業所を退職し、私が大田区に戻るまでの約1年間、仕事が終わると毎日二人の居室へ行き、奥さんと昔話に花が咲き、ご主人は横でニコニコ。
     奥さんは、おやつに出るまんじゅうや、和菓子を食べないでちり紙にくるみ、私が行くと必ず出してくれました。
     長く住みなれた山王は、今は遠く・・・、唯一山王で暮らしていた時にいた私に、もう帰れない我が家、そして愛する地域に思いを馳せていたのかもしれません・・・。
     デイサービスの時、よくギターを爪弾いていた私・・・。Nさんがいる施設を辞め、大田区に戻る日(今の医療法人に来るため)、施設のギターを借りてNさんと、Nさんのいるフロアーのみなさんも一緒に「ふるさと」を歌いました・・・。
     Nさんの奥さんは、もう泣きませんでした・・・。「またいつか会えるわね」、「はい」・・・・
     あれからもう5年の歳月が過ぎました。それからNさんには会っていません。2年ほど前に、お二人の元気だという話しは風のうわさで聞きました。
     私の事務所の屋上からは、線路向こうの山王の山がよく見えます。今は、区画整理も進み、昔の文士村の面影は少なくなりましたが、遠く屋上から見る山王の山は今も変わらず、この目に飛び込んできます。
     
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    syasin[1]

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