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2008.12.6幕末に思いを馳せて・・・
  •  大学時代の研究の詳細については、昨年11月15日ブログ記事「龍馬の写真に魅せられて・・・」にも書いています・・・。
    工学部写真工学科研究室での研究が「幕末の写真術」・・・。当時の写真にまつわる文献、歴史書は大まか読破しました。
     中でも、「龍馬がゆく」など、幕末の司馬遼太郎さんの本は夢中になって読みましたね~。
     「龍馬がゆく」は、ハードブック全5巻に自分で引いた線がびっしり・・・。人と関わる関係での学ぶものが当時の私にはたくさんあったのだと思います。
     久しぶりに「龍馬がゆく」の本を開いてみて、当時の(20才~22才)自分がどんなところに惹かれたか、線を引いているのか、とても興味深く見てみました。
     皆さんにも当時の私が線を引いた部分の一部を紹介しますね・・・。
    「こういうのを人物というのかもしれない。同じ内容の言葉をしゃべっても、その人物の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがある。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ」
    「仕事というものは、全部やってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。八分までいけばあとの二分は何とかなる。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。そうでなければ大事業というものはできない。」
    「癪だが、あいつが俺に勝っているところが、たった一つある。妙に人間といういきものに心優しいということだ。将来龍馬のその部分を慕って、万人が龍馬を押し立てる時が来るだろう・・・。龍馬はきっと大仕事をやる。」岩崎弥太郎(のちの三菱財閥の創業者)
    「論などやらぬ」龍馬は議論というものの効力をあまり信じていない。「議論などで人を屈服させたところで、しょせんはその場限りと言うことが多い」。「利だ」 、「利?」、 「利が世の中を動かしている。時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ」 龍馬というのは妙な志士である・・・。 妙というより、この時代、龍馬のような思想に到達したほかの志士がいないとも言える。
     
     歴史小説を通して、司馬遼太郎さんの人物眼がふんだんに盛り込まれていて、20才そこそこの自分を熱くたぎらせるには十分すぎるほどの本でした。
     今年の正月休みは、久しぶりに「龍馬がゆく」でも読み直して、遠く幕末の時代にでも、思いを馳せてみようかな・・・なんて思っています。
    この書物を現代文に翻訳し(半年かかりました)、幕末時代に龍馬や徳川慶喜、高杉晋作などを撮影したコロジオン湿版写真の再現を研究していました。
              ↓
    P1030954.jpg
    ガラス板に銀を塗布し、像を浮かび上がらせる。このままだと今で言うフィルムの役割を果たしますが・・・
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    20071112214500.jpg
    同じガラス板の後ろに黒紙を添えると、白黒写真のように白黒が反転し、写真としてみることができます。これはガラス板なんですよ。
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    20071116104504.jpg
    このガラス板、フィルムの役割を果たすので、このように紙に焼き付けることもできます。
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    20071112214356.jpg
    これが今の写真技術で撮影した同じ風景です。
              ↓
    20071112214415.jpg
    坂本龍馬の有名な写真もこの技法で撮影されてます。
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    20071112214406.jpg

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