大田区発の地域包括ケアシステム-おおた地域見守りネットワーク(みま~も)

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2008.5.2人とのつながり=自分自身
  •  高校・大学時代、勉強よりも夢中になったものが児童演劇でした。母親の影響で中学時代から定期的に様々なジャンルの演劇を観て育ちました。
    舞台劇・人形劇・バレエ・歌舞伎・音楽、観劇自体が好きだった自分。
     成長するにつれ、「未来を創る子どもたちにこそ、人類が獲得してきた最高の舞台芸術を!」という劇団の方々の想いにふれ、いつしか、親子で一緒に舞台鑑賞できる機会を創ろうという会の仕事に興味を持ち、工学部の大学を卒業し親の反対を押し切って就職しました。
     この親子で舞台芸術を鑑賞する会は、母親が私自身の成長を考えて入会していた会です。ですが、まさか自分自身の子どもが、この会を仕事に選ぶとは思っても見なかったことでしょう・・・。
     父親も母親も、夜間高校を卒業し、山梨から上京してきました。子どもには大学を卒業させて、一流企業に入り、自分たちがしてきた苦労だけはさせたくない・・・、という親でした。
     親とのきちんとした話し合いもしないまま仕事を始め、親が眠ってから仕事が終り帰ってくるという生活が始まりました。
     しばらくたった頃、母親からの置手紙がテーブルに置いてあった。
     「父は毎晩のように寝言で○○を殺したいと言っています・・・、親が子どもを殺したいという気持ちがわかりますか!」と・・・。
     奥で寝ている両親を起こさないように、声を押し殺して泣いていたことを思い出します・・・。
     そんな頃の自分を会の責任者が「逢わせたい人がいるから・・・」と、鎌倉の山奥の古風なお屋敷に私を連れていきました。児童心理学者で、会の発起人でもあったA先生です。
     裸電球一本の薄暗い書斎に、A先生は座っていました。細い目に多少つり上がった眼鏡越しに私をじっと見つめていました・・・。
     20年も前の話です。何を話したのか忘れてしまいましたが、自分が選んでいく生き方について、そして親とのことについて、初対面の先生に向かって一気に話したのだと思います。
     話しができると、話してもいいんだと、そのときの自分が先生を見て感じたのだと思います。
     先生は、私が話している間、カメラを構え、私たち訪問者を撮影していました。きっと端で見ていたら変な光景だったと思います。
     先生から何かアドバイスをもらったのかも覚えていません・・・。
     ただ、先生の家を出て山を降りるとき何か吹っ切れたようなすがすがしさを感じていました。山の上にいる仙人と会い、下界に降りてきたような気持ちだったのでしょう。
     その後先生は、本を出版するたびに贈ってきてくれました、何年も、何年も・・・。
     そして、何冊めかの本が贈られてきて目にしたとき、その本の中に、私が先生と逢ったときのことが記されていました。
     「会の責任者がある日若者を連れてやってきた。この子は会で演劇を観て育ち、今年大学を出るという・・・。
     この子のお母さんは子どもたちのためにこの会の活動をしてきたのだが、大学を卒業してこの会で働くと言い出されて狼狽しているという。
     会と一緒に育てたわが子の成長にうろたえる。子どもにしてみれば、母親の理想を継いで生かすのに何故?という気持ちだろう。
     大学まで出したのに・・という愚痴の出る母親を笑うことはできない。
     でも、と私は考える・・・。何年か経ったら、お母さんも自分のしたことはよかったのだと心から満足してくれるだろう・・・。そこで、妥協はしなくても、お母さんの気持ちはわかってあげて、と若者に頼んだ・・・」
    とその本に書かれていました。
     この本が先生の遺作となりました。
     その後、この仕事を8年間続け、様々な分野の劇団の方々、芸術家とお会いしました。20代の時期の皆さんとの出会いは、まぎれようもなく今の自分の生き方の指針になっています。
     どのような人たちと出会っていくか、そしてその人とのつながりの中から何を学ぶかは、自分が選びとっていくものだと思います。
     どんな人と出会ってきたか、向き合ってきたかは、そのまま自分自身なのだとも思います。
     今の高齢者福祉関係の仕事を始めてから10年、前の仕事以上になります。ですが、あの頃のことは今も大事な自分自身そのものです。
     
    諏訪神社2

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